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これからの1年を… [想い、思う事]

多くのものが姿を変えた1年だったように思える。

平成23年3月11日に起きた東日本大震災
翌日3月12日に起きた
長野県の直下型地震
*3月11日(覚書)
ブログには詳細は書きませんでしたが、この日は進級発表日でした。
2年から3年へ進級出来るか決まる日でもあり、実習先が発表される日でもあるのです。
ギリギリの橋を渡っていた私には進級なんて無理だと思って半ば諦めていました。
掲示板の前に立ち、恐る恐る目をやると進級出来ていたのです。
喜びよりも呆気に取られていました。呆然です。
たまたま通りかかったH先生は、手を取り喜んでくれた。
その先生が言ってくれた言葉は、今でも憶えてる。

進級して心地よい余韻に浸っていた私は、横浜に行こうと思ったのですが、何かが引っ掛かって行くのを思い留まり、帰宅しました。
姉と甥っ子が来ていました。
昼食につけ麺を食べて、部屋で勉強していた時の事
あの大地震です。
随分、揺れるな…と思いましたが、いや長い。何かが変だ!と思い、リビングに様子を見に行ったらテーブルの下に隠れる3人。
私は部屋の机の下に身を寄せた。

暫くして収まると、私はベランダに出た。
信号機が消えてる…
近所の母の友人宅に行き、ロウソクを頂いた。
旦那さんの話では、発電所もストップしているとの事。
一大事なことが起きたのは言うまでもない。
部屋からキャンドルを取り出した。
明かりは、キャンドルと懐中電灯を駆使した。
晩ごはんは、あらかじめ作ってあった煮物と漬物をおかずに食べた。
そして、随時FMヨコハマから地震の情報を取り入れた。

21時前に電気が復旧した。
電気の無い生活がこんなに大変だとは思いもしなかった。
電気が頼れない事が心細くなるものだと学んだ。

進級した以上は実習も“頑張らなければ”と思い、色々とやってきた。
国家試験もそう。
模擬試験や模試を参考に勉強したりした。
どんな時も地震の事が頭を過る。
『もし、“今”地震が起きたら…』
そんな1年だった。

被災地・復興地に何が出来るか?
私に出来る事は、少ない募金や節電位しかないでしょう。
もどかしいけど、仕方ない。
現地の病院で検査なんて、私には出来そうにない。
どう考えても身体が持たない。


この1年、何が出来るか考えながら過ごす事になりそうだ…

振り返ってみれば… [想い、思う事]

臨地実習が終わりました。
長いと思ったけど、振り返ればあっという間でした。
右も左も分からず、早く慣れようと努力してきました。
やっと慣れたと思ったら、部門が変わるし大変でした。

でも、クラスの中でも私は病院に恵まれているのかもしれません。
技師さんは基本的に良い人達です。
卒業生の技師さんもいたので心強いです。

体調崩しても、「帰れるうちに帰って、病院行くか休んで下さい」と言うのが、お約束でした。
更に「行き帰りの怪我や事故が心配だ」と言われました。
残念ながら何回か、脱臼しました。
疲れてフラフラになって、駅のベンチで潰れた事もありました。

今だから言えますが、痛みとかで目が覚めて、殆んど寝ないまま実習に行った事も一度や二度ではありません。
一昨年辺りから、8月の後半になると激痛が走ります。
今までは下肢がメインでしたが、今年は背中や首が痛いです。
だからでしょうか、何か体調が今一つ良くないんです。
やっぱり、胸椎や腰椎のMRIも撮るべきか…


実習先の技師さん方の支えがあったから、実習を最後までやる事が出来たと思う。
技師の皆さん、本当にありがとうございました。


白石 侑奈

強くないから [想い、思う事]

病気によって憧れていた夢を諦めた私に、また新たな夢を持たせてくれたのは、紛れもなく今の学校。
今は、この分野に来て良かったと思う。
この分野じゃなきゃ、出逢えなかったであろう、先輩技師さん方に色々と教えてもらい、改めて色々やりたいと思いました。

でも…
現実は、厳しい。
今は、学生だから融通が利く。
働くとなったら、どうだろう?
資格を取る前から感じている漠然とした不安。。
自分の理想を描いた様な働き方は、出来るのか?
周りからは無理と言われているけど、きっと何とかなるんじゃないかと少し考えている。

昔は、イジメに遭って何年も耐えてきた。
今は、エーラス・ダンロス症候群による全身の痛みと、実習と勉強に耐えている。
耐える事が多い人生だけど、きっといつか芽が生える事を信じている。
何の取り柄の無い私でも、資格さえ取れば自信が持てる気がする。
それを支えに、私は頑張る。
今は、頑張らないと…
後悔したくないから。

でも、弱音は吐かせて下さい。
私は、強くはないですから。

懐かしい事と悩み事。 [想い、思う事]

何故かは分かりませんが、急にガンダムSEED DESTINYが観たくなりました。
今度UMDでも買おうかな?

思えば“ガンダムSEED DESTINY”は、高校時代の真っ只中でした。
最終話がやっていたのは、修学旅行中。
男子皆が旅館に着くのが、放映に間に合うかとドキドキしていましたが、残念ながら間に合いませんでした。

この頃は、ちょうどエーラスの症状が出始めてきていた頃の話です。

修学旅行から帰って、ガンダムSEED DESTINYの事を調べていくうちに、ハマりました。
(私は、流行っている最中よりも後にハマる傾向にあります。)
OPとED曲は、MP3の中に入れています。
どの曲も良い曲です。
◇vestige
◇ignited
◇PRIDE
◇Life Goes On
◇僕たちの行方
この5曲が特に好きです。

この曲を聴きながら、昔を思い出します。
最悪でもまだ、関節の痛みを多少なりとも抑えられていた“あの頃の身体に”戻りたいな…とふと思いました。
痛みの無かった頃に戻れないのならば、少しでもマシだった頃の“淡い思い出”が記憶を霞めます。

今の私は、かなり強い薬に頼らなければ、学校に行く事はおろか、家から出るのさえ躊躇います。

今日は、今一つ体調が良い感じがしません。
体が怠いし(特に下肢)、関節の痛みと不安定感が少し強いです。
家に居ますが、外でたまに使う膝の装具を着けています。
なかなか良い感じです。
でも、家でも装具が必要になると、実習大丈夫かな?と不安に思います。
と言うのも、同級生が行った病院での話ですが、関節リウマチ(RA)を抱えていた学生が実習に来た時、実習が始まって、学生のRAが働いている方の検査や学生の話等で発覚したのですが、その後
「ウチでは面倒見れないから、他を当たって下さい」と、実習先の病院を変えさせられた人がいると聞きました。

ただでさえ、実習で気分が塞ぎこみそうになっているのに、この話を聞くと、果たして自分にも同じ事が起きるんじゃないかと思ってしまいました。
実習先には事前に病気の事を話そうと思っています。
ただ、どこまで話して良いのかが悩みどころ。
出来る事、出来ない事、
何が出来るんだろうかって、ふと思う。
装具を着けて杖をついた体を見て、どう思うだろうか?

実際の所、自分なりに学んで、少しでも手技や知識が身に付く事が出来れば…と願っていますが、果たしてどうでしょうか?

表現の仕方 [想い、思う事]

今までブログには、日々の出来事や、自分の思う事、感情をありのままに書いてきました。
特にエーラスダンロス症候群に関しては、力を入れていたかも知れません。
痛みの表現だったり、病気の進行だったり、装具然り…
考え方、主観の違いから来ているのだと思いますが、とある方のブログ上に、闘病ブログって病気の事を過度にアピールしている傾向にあると書いてありました。

病気の辛さ、痛みの度合い、考え方は人それぞれであって、比較のしようが無いと思います。
何が悪かったのでしょうか?

私は一部ではありますが、様々な疾患を抱えた人のブログを見てきました。
“あぁ、こんな風に辛いんだな”とか
“こう言う事に悩んでいるんだな”と読んでいて思うものです。

自分の表現の仕方は、一部の人から見れば大げさに見えるのかも知れませんが、痛みや辛さの表現は、なかなか難しいです。
痛みや辛さは、目に見えません。
表現しようとなると、やはり言葉や文章になります。
でも、書いていたら、それ以外の表現・比喩の仕方が思い付かないのです。
それに、見ていたら思う所は皆似たり寄ったりです。
皆、何かしら悩み、辛いんです。
私も痛みに悩み、EDSの進行が辛いです。
悩みや、辛い事を書く事がそんなにもいけない事なのでしょうか?
そうなると、闘病ブログって書かない方が良い事になるのでしょうか?

実ったの…? [想い、思う事]

地震が起こった日に更新しようと思っていましたが、何だかんだでバタバタしていました。

この日記を書いた時、本当に辛くて逃げてしまいたかったです。
苦しい事から逃げて、ラクな方へ行ってしまいたかったのは事実です。

一昨日、学校に行って来ました。
とある発表があったとだけ書いておきます。
この数年間体に鞭を打って頑張ってきたつもりです。
ようやく少し実った様です。
この結果を見た時、嬉しかったです。

 [想い、思う事]

涙が止まらない
どうやっても涙が溢れてくる…

それは、何故か?
夏休み、あまりにも痛みが強くて精神的にもかなりのダメージが来た様です。

手に入れたくても普通の生活は、どうやら私には手に入らないらしい。。

毎日痛みに耐えてきた。
もう、5年目です。
高校の1年半は楽しかったなぁ…こんなにも自分が笑っていられる環境があるんだと知った。
でも、変わってしまった。
何気ない『普通』の生活が欲しかった。
でも、足下から崩れてしまった。

もう、痛みに耐える生活は疲れました。
泣いても泣いても枯れる事の無い涙。
ただ、『普通』でありたいだけなのに…

自己嫌悪と反省 [想い、思う事]

今日、母に申し訳ない事を言ってしまいました。
痛みに苛立った私は、
「もう、痛みの無い頃には戻れないんだね…痛いのは辛いよ。
お母さんが私と同い年だったら、どう?
私、今でも薬を飲まずに普通に過ごせたらって思ってしまう。
簡単に諦められる!?
私は、諦めがつかないよ…」
母は、少し困って目を逸らせた。

そんなこと、言っても仕方無い事…
何か現状が変わる訳でも無い。
患者会での事が頭を掠めた。
「もし、遺伝してしまったら子供から恨まれるんじゃないか?」
と言っていた親御さん。
RAだと言われて、辛いながらも諦めて治療してきたけど、脱臼してから変わった。
資料見た主治医は「優性遺伝の形式ならエーラスじゃないよ」と言った。
遺伝?
でも、両親に素因があるとは思えない。
となると…多分、突然変異。
患者会でも、親子でエーラスよりは個人がエーラスと言うのが印象的だった。(個人的な意見です。)
病気になったのは、母親や父親のせいだとは思っていません。

でも、弱い自分は言ってしまった。
文句一つ言わずに大学病院に付き合ってくれる母親。
多少の愚痴を言いつつも、大事な話の時は、休みを取って来てくれる父親。
友人の看護師のお母さんが言っていた
「侑奈ちゃん含めて表現が下手な家族だから、言えないだけなんだよ。
子供を心配しない親なんて、いないんだよ。」と言う言葉の意味が少し分かった気がします。
胸の内に秘めて言えないのは私だけじゃなくて、家族がそうなんです。
何で分からなかったんだろう…
身近すぎて、見えなくて、見落としていた。

次第に、申し訳ない気持ちが込み上げて自己嫌悪に陥った。

今日の痛みは酷く「背中が痛い」と言えば、母は背中や肩甲骨の辺りを擦ってくれた。
母だって大学病院行く時は、朝早くから父のお弁当に朝食の為のおにぎりを作り、洗濯をしてから家を出る。
家事だってかなり大変なのに、午後の予定の大学病院に朝早く予定外の時間帯の診察に付き添って来てくれている。
私が親なら、全て出来そうにも無く、どれか1つは疎かになると思う。

「稀少難病」故の見えない出口に苦しむのは本人だけではなく、両親だって精神的に苦しい。
頭で解っていても、自分がそうなると周りが見えていなかった。
独りよがりで苦しいと思っていた。
痛みのせいにして悪いのですが、痛みで想いやれる余裕が無かった。。


病院帰り、循環器の事で安心した自分はお腹が空いていた。
帰りの電車に乗る前、東京駅のホームの売店で、おかかのおにぎりを買ってお母と半分ずつ食べた。
私が持っていたお茶も半分ずつ飲んだ。

家に着いて母は「調子はどう?痛みは収まった?」と聞いてきた。
「朝よりかなり調子は良い」と答えた。
「良かったね。薬が効いたんじゃないの?」と母。
「う~ん?そうかな?そうだと良いけど…」と私

薬の要因は大きい。
でも母の擦ってくれた、あの手のお陰でもあると私は思う。
母が一先ず休憩した後、母に謝った。
1時間も経っていないけど「調子はどう?」と聞いてきた。
「まぁまぁかな?」と私。
それを聞いて納得して、また一休みする母。


二人共、こんなダメな娘でごめんなさい。
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