言い知れぬ恐怖… [医療系]

11日に、大学病院に行って来ました。
麻酔科と神経内科の診察。
大学病院の神経内科は、初めての診察です。

先ずは、麻酔科。
担当のK先生は、座ってすぐに「白石さん、何か神経的な症状が出たと電話で聞いたんですけど…」と聞いてきたので、今までの経過をメモとして、紙に書いてきたので、渡しました。

地元の病院の神経内科では、Drが「薬のせいだ」と、こっちの意見に耳を貸そうともしなかった…


「本当に薬を飲んでいて、こんな症状が出るのでしょうか?」

K先生
「こっちでも色々と文献探してみたけど、末梢神経障害なんて聞いた事も無いし、ましてや白石さんの症状は、中枢神経からも来てそうな感じがするんだよね…
靴を脱いで装具を外して裸足になってくれる?」

と言う訳で、裸足になりました。
細い筆で、くすぐられていきますが部分、部分触られている感じが鈍い。
特に指先の方が、感覚的に鈍い。
次にアルコール綿(アル綿)で、色々と“ひんやり”しないかと擦っていきますが、またしても部分、部分鈍い。
筆もアル綿も左右差が出ました。
結果を電子カルテに記入。

K先生
「W先生、神経内科今日でしたっけ?」
いつの間にか担当のW先生が、後ろに控えていた。

W先生
「今日の1時から診察予定です。」

K先生
「分かりました。
今の触診の感じからすると、薬だけで説明がつくかと聞かれたら、やはり無理がありますね。
白石さんに出している薬の量は、一般的にものすごく多い量を出している訳ではなく、他の患者さんにも出せる位だし、薬のせいと言うよりかは神経学的所見を診ていく方が良いんじゃないかと思います。
じゃあ、白石さん、いつも通りの薬を出しておきますね。」
と麻酔科は終わり、W先生と空き部屋の診察室で話す事に…

これまでの経過の事、W先生の方針の事…

W先生
「私が、検査だから来て下さいと言っても、白石さん自身が納得していないと、意味をなさない。
実習や学校が大事なのは分かるけど、検査が必要で、場合によっては治療が必要な時期、経過観察でも良い時期があると思います。
目的が無いのに、病院に来るのは白石さんにとっては、時間の無駄だと思います。
なので、前半からコマを使うのではなく、本当に必要な時に取っておく事を考えていく事が大事なんじゃないかと思います。」

そうこうしているうちに、神経内科の診察時間が来ました。
N先生と言うらしく、気さくな感じの先生らしい。
でも、地元の病院での事があったから、距離を構えていました。

いざ、診察室に入ると…
思っていた以上に話しやすい先生でした。
痛みの事、始まった症状の事、治療経過の事を聞かれました。
RAとして、かなり治療してきたけど効果が無かった事。
治療を進めても違和感を覚えてW先生の元へ来た事。
既往症の事。
足首の感覚が鈍くなってからの前後にあった事も話しました。
尿閉を起こして暫くの間は良かったけど、病院に行った日は体調も今一つで、残尿感が酷かった。この調子だと尿閉の手前な感じです。

私が色々と話して先生がカルテに記入していても、母親を気遣ってくれるN先生の優しさにジーンと来ました。
一通り話し終わった所で、神経的所見を取る事になりました。
血圧を測りました。
N先生、血圧を測るのにW先生に確認していました。
関節型と言えども血管が強い訳では無いので、その為の確認らしい。
地元の病院で測れば上150とかですが、122/77でした。
N先生、血圧測定すごく上手いです!
普段だったら、看護師や医者が血管や皮膚の弱さなどお構いなしに圧をガンガンかけて、測定。
結果、マンシェットや聴診器の形に合わせて、皮一枚下で内出血を起こします。

先生の指を目で追ったり、ライトを当てて瞳孔を観察したり、先生の指を触った後に自分の鼻を触る検査。
靴脱いで、装具を外して裸足になって、音叉の振動をくるぶしに当てて止まった所でstopを言ったり…
あと問題の…私は目を閉じて先生が足の指を触って曲げると、やはり分からない。
あと、ホフマン反射の検査をしました。
あと久し振りの握力測定は…左右共に10kg
高校の頃の約1/4まで落ちた事になる。

N先生が言うには、神経的にそんなに悪い所見ではないけど、足の指を触って曲げると言うのは、触る事と曲げる事の神経経路は同じだから、これが解離する事は基本的に無く、解離している点が引っ掛かるとの事です。
やはり、脊髄か末梢神経に何かしらの障害があると考えて検査を進めて行こうと考えていると言っていました。
考えられる事として、基礎疾患にエーラスダンロス症候群があるから、何かの拍子に脊髄の一部を傷付けた可能性
末梢神経か脊髄のどこかに病変があるか…
取り敢えずは、精査をしてみない事には何とも言えないとの事です。

N先生
「体が熱くなった状態になった時、手足が痺れたりする事はありませんか?」


「手足が痺れたりする事は無いのですが…昨年の夏場、炎天下の中を歩いていると、脱力感と疲労感で動けなくなる事がよくありました。」


W先生と話したいからとの事で、私と母親が外に出る。
カーテン越しからのW先生とN先生の会話が聞こえる。

N先生
「やはり、膀胱直腸障害を疑わせる所見に、時間差の横断性の所見もあるので、MRI撮りましょう。
MRIの造影は、喘息の既往があるから実施せず、普通に撮ります。
MRIの結果によっては、ルンバール(髄液検査)もやります。」

W先生
「分かりました、そう言う方向で行きましょう。」

改めて診察室に呼ばれる。

N先生
「やっぱり、色々と神経系の症状が出ているので、先ずはMRIを胸から下、場合によっては腰を含めて仙部、頭部も撮ります。」


「あの…ルンバールと聞こえたんですけど、やらなきゃダメですか?」

N先生
「外来でも出来る検査だし、痛くないから大丈夫だよ。」
局所麻酔を打つと言えども、見えないから怖い…
それに、メタボな私の腰部では“ヤコビー線”が見えない気がする…(汗)
(TωT)


「あの…地元の病院では神経伝導速度の振幅が小さいのは、薬のせいだと言われたのですが…」

N先生
「白石さんの場合、運動があまり出来る様な体じゃないから、運動神経を測定しても振幅が小さいのは仕方ない事だと思う。
白石さんと、スポーツばかりやっている男性と比べたりしたら、そりゃあ男性の方が高くなるハズだし、施設によっても基準値変わるから、4ミリ位あれば大丈夫だと思う。
白石さんの症状を薬で説明するのは、かなり無理があると思います。」


「地元の神経内科では、装具を着ける事も悪いと言われました…」

N先生
「関節が緩くて歩くのが大変なのに、装具無しで歩くのは厳しいでしょう…」

カルテには一応、“多発性硬化症の疑い”でMRIの予約を取りました。
N先生が「MRIを胸から下、場合によっては、腰を含めて仙部、頭部も撮ります。」と言った時、多発性硬化症(MS)か慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)のどちらかだろうなとは予測したけど…心境複雑。

地元の病院では「症状に時間差は無い」と言われたけど、
大学病院では「症状に時間差がある」と判断された。
良い判断を下してくれたのだと信じる事にします。


神経内科の診察が終わり、またしてもW先生との話し。
そこで私は、泣きながらお願いした。
「もしかしたら無茶なお願いなのかも知れませんが…
もし仮に、MRIで病変が見つかったとして、治療が必要な場合、地元の病院では検査の必要も無いとか、薬の事でDrからは誤解ばかりだし正直辛い。
だから、治療が必要なら大学病院で受けたい。
だから、地元の病院には紹介状とか手紙は書かないで下さい。」

W先生
「もちろん、僕はその方向で考えています。
だって、僕らがやろうとしている事は、白石さんの地元の病院には信じてもらえなさそうだし。」


そうだね。信じてもらうなんて無理だよね。
医者同士が患者を押し付け合い、無責任な事を言う病院なんか…


病院から家に帰った後、色々と考えてしまう。
エーラスだけでも辛い。
その上、神経の疾患が来たらと思うと怖くて仕方無い。
それは、実習中もそう。
技師さんに愚痴をこぼしてしまったり、一人で資料を読んだり、洗い物をしたりすると恐怖心が湧いてくる。
言い知れようの無い恐怖心…
実習中、もし脚の感覚が鈍くなって、立てなくなったり、倒れたりしたらどうしよう…
病院にも学校にも迷惑を掛けてしまう…

W先生に泣きながらお願いしたけど、動けなくなった時に、どうやって大学病院まで行くんだろうか?
ロフストランドクラッチはおろか、車椅子も無いこの状況…

治療法と言えば、ステロイドパルスや免疫グロブリンの静注、血漿交換と言った所。
エーラスの診察代や薬代だけで一月3万は軽く飛ぶのに、上記の治療が必要になったら、両親にかなりの負担を掛けてしまう事になる。
その事も、心苦しい。


関節リウマチから、エーラスダンロス症候群なのでは?と思った時の気持ちとは、また別。

実習中は、考える余裕も無いから大丈夫です。
この時間があるからこそ、何とか精神的にも持ちこたえているのかも知れないです。

思うのは、医療系の学校に通っている事を医者に言うと、扱いが悪くなる医者と応援してくれる医者の2通りに別れる事。
この違いって、何でしょうか?
資格を持っていない学生が何を言おうと、資格を持っている医者には及ばないと言う見下しでしょうか?
確かに知識も技量も学生である私には、到底足下にも及ばないでしょう。
多少なりとも知識があるとはいえ、言いたくても、言い返せない。
悔しくて、悲しくて、辛い気持ちを何とか胸の内に押さえ込みながら実習をこなし、大学病院の受診日までかなりの我慢を強いられた。

学生と言えども患者である事には変わらない。
地元の病院には、その事を考えて欲しかった。

恐怖心を抱えたままGWを過ごした事なんか、地元の病院は知らない。
右脚の脱力で立てなかった時、本当に怖かった。
そして、今でも本当に怖い。
泣いても、泣いても涙が止まらない。。

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